戦争の対極にあるもの
デイビッド・オド
ジョージア美術館 館長
メリーさんの羊
雪のように白い毛の子羊
メリーさんが行くところには
どこでも必ずついて行った
この本のタイトルは、アメリカで広く愛される童謡の第一節からとっている。この童謡は「グッドナイト・レイディーズ(GoodnightLadies)」という歌のコーラス部分のメロディーで歌われることが多い。メリーという女の子が飼っていた子羊が、いつも女の子のあとをついて回り、学校にまでやって来たというストーリーのかわいらしいイメージは、軍を題材とした長沢慎一郎の写真とは対極をなすようにも思われる。実はこのタイトルは、米軍占領下にあった小笠原諸島父島清瀬の壕にかつて米軍の軍事施設が存在し、その施設が管理する秘密の保管物には「メリーさんの羊(Mary’s Lamb)」のニックネームが付けられていたというローカルナレッジ(現地固有の知識)を指している1。実際、米国が緊急時に備えて核兵器を小笠原諸島に配備することを認める日米政府間の密約があったことがその後確認されている。この取決めは1968年に小笠原諸島が日本に復帰した後も継続したという。
雪のように白い毛の子羊
メリーさんが行くところには
どこでも必ずついて行った
この本のタイトルは、アメリカで広く愛される童謡の第一節からとっている。この童謡は「グッドナイト・レイディーズ(GoodnightLadies)」という歌のコーラス部分のメロディーで歌われることが多い。メリーという女の子が飼っていた子羊が、いつも女の子のあとをついて回り、学校にまでやって来たというストーリーのかわいらしいイメージは、軍を題材とした長沢慎一郎の写真とは対極をなすようにも思われる。実はこのタイトルは、米軍占領下にあった小笠原諸島父島清瀬の壕にかつて米軍の軍事施設が存在し、その施設が管理する秘密の保管物には「メリーさんの羊(Mary’s Lamb)」のニックネームが付けられていたというローカルナレッジ(現地固有の知識)を指している1。実際、米国が緊急時に備えて核兵器を小笠原諸島に配備することを認める日米政府間の密約があったことがその後確認されている。この取決めは1968年に小笠原諸島が日本に復帰した後も継続したという。
長沢が長い時間をかけて築いてきた小笠原諸島の人々や場所との絆、そして現在の、小笠原諸島の核兵器にまつわる秘められた歴史に対する強い関心のきっかけとなったのは、2007年に旅行雑誌で目にした記事だった。そこに書かれていたのは、19世紀から20世紀初頭にかけて日本以外の地域から小笠原に入植した開拓民にルーツをもつ「欧米系島民」と呼ばれる人々のコミュニティについてであった。彼らは近代における最初の小笠原諸島定住者(さらにその後やってきた移住者)の子孫であり、その多くは太平洋地域や欧米に出自をもつ。1830年に海を渡ってホノルルからやってきた最初の集団は、それまで人が住んだことのなかった島々に捕鯨のための入植地を築いた。
欧米では「ボニン・アイランズ」として知られる小笠原諸島は、東京の南およそ1000キロ沖に位置する大小30余りの島々から成る群島である。亜熱帯の島々の自然美は、日本国内はもとより海外からも多くの観光客を惹きつけ、2011年には稀有で独特な(そしてよく保たれた)自然環境から、日本で4箇所目の(そして未だ5箇所しかない)世界自然遺産に登録された。小笠原の生態系にはオガサワラオオコウモリや、他では見られない鳥類や植物など多くの絶滅危惧種が含まれ、群島を取り囲む海には幾種類ものサンゴや魚やクジラ、その他の海洋生物が数多く生息している。
小笠原諸島に関する先の写真集『The Bonin Islanders』の数々の美しい写真が証明するように、長沢の写真には、2008年から通い続け撮影してきた島の人々と場所の両方に対する深い思い入れが詰まっている。同様に『Mary Had a Little Lamb』もまた長沢と島との深い絆から生まれた写真集である。欧米系島民コミュニティの存在を初めて知って以降、長沢の興味は、第二次世界大戦での日本の降伏後に始まった米軍占領期間(1945~1968年)とその影響や反動に向けられてきた。占領の物理的な痕跡のほとんどは日本復帰後数十年のうちに消え去った。しかし日本軍が残した軍の施設や遺構、たとえば沈没船の残骸や要塞の廃墟、軍用道路、地下壕などの中には、米軍がそのまま放置したものもあり、さらにそのいくつかは今日も残っている。長沢は、現地に伝わる歴史について親切に教えてくれたコミュニティの長老たちと関係を深めたおかげで、ようやく廃墟となった壕や遺構に案内してもらうことができた。長沢はこの後、壕に保管されていた核兵器にまつわる、未だ秘密とされていた歴史をたどり始めたのである。写真で残せるのはカメラで記録可能なものだけという当然の事実からすれば、撮影には限界があるように思えるのだが、長沢が島で開始したビジュアル調査においてはこの歴史の探索がきわめて重要な意味をもつこととなった。事実、長沢が撮影できたのは視覚的に残っているものだけだ。
残されているのは空っぽの壕ばかりで、兵器や兵器システムはとっくの昔に撤去済みである。だとすれば、わかりやすい撮影対象が存在せず、しかし明白な歴史的テーマの存在感ばかりが際立つこの状況にどう対処したらよいのか。核兵器が秘密に保管されていた、しかも、広島と長崎に投下された原爆の破壊的な余波を受けて核兵器を徹底的に拒絶してきた日本という国で保管されていたという複雑で重いローカルナレッジが写真家にのしかかった。実をいうと、私自身もこの問題に直面した経験がある。1990年代後期、大学院時代に博士論文のためのフィールドワークを小笠原諸島で行っていた私は、長沢が後に知ることとなった米軍占領期間中の核兵器貯蔵施設の話を耳にした。研究対象だった小笠原の軍事文化遺産ツーリズムに対する私自身の興味に関しては、壕を訪れる機会を与えられたことに心から感謝している。しかし、研究目的や参考資料のため、写真家ではなく素人として撮影を行った私は、ライティングや構図といった技術的な問題から、そもそもその写真撮影をする正当な目的をどう定義すべきかといった抽象的で大きな問題まで、ありとあらゆる問題と格闘しなければならなかった。撮った写真が重要な意味をもつことになる可能性を感じつつも、私(そして学生の私でも購入できる程度の一般消費者向けのデジカメ)は、巨大で暗く、空っぽの空間でしかない壕の中でなんとか意味のある撮影対象を見つけようと奮闘したのだった。壕の中で感じた様々な感情や心の反応は、今にして思えば、一線を越えてしまったという興奮だったのではないか。自分たちの力ではどうすることもできない地政学的な問題を背景として島民たちを危険にさらしてきた恐ろしい秘密を知ってなお、私は本来見ることなどあり得ない場所を歩き回っていたのだ。しかし一方で、島の生活に関する何か本質的な事実にたどり着いた気もしていた。戦時中や過去の占領時代の亡霊を確かに感じた。第二次世界大戦の最中、あるいは占領下で静かな不信感が蔓延し続けた冷戦中というのは、いったいどういう時代だったのか想像した。あたりまえだがこれらの亡霊は目には見えない。その存在に実体はなく、ただ過去の複雑な事情をとらえどころのない不可思議な感覚で想起させるだけである。壕そのものをどう捉えたらよいのか私は混乱した。空っぽの空間、そして情報として知らされた事実に対して心の中に生じた反応を、私はどうすればよかったのだろうか。
結局、壕での撮影の試みは失敗に終わったが、その空間を自分の足で歩いた経験のおかげで米軍占領時代についての理解が深まった。思い返してみると、実際に壕の中に入ったときに最も雄弁に私に語りかけてきたのは、空っぽの空間で撮影対象を何も見つけられないという事実そのものだったかもしれない。そして今、こうして長沢が撮影した壕の写真を前にして最も雄弁に語りかけてくるのがやはりこの空っぽの空間なのは、このときの経験によるものだろう。長沢の写真のイメージは、暗闇の中にいるかのような没入感を感じさせながらも、暗闇の向こうの明るい世界へと見る者の視線を誘う。
この作品群で最も際立っているのは、壕のとらえどころのない不可思議さである。壕にかつての用途を示す明白な痕跡はなく、そっけない雰囲気を漂わせつつも好奇心をそそる表面感や質感に満ちている。巨大で空虚な空間を形づくっているのは金属で覆った壁で、継ぎ目がむき出しになり所々リベットが飛び出ている。その古色蒼然とした錆色が時間の経過を物語っているが、過去の用途を示す明白な目印はない。白い漆喰の表面をとらえたイメージもいくつか見られ、写真家が当てたライトの光を明るく反射してはいるが、やはり薄汚れており、さびのような汚れが染みついている。失われた時間と二度とは取り戻すことのできない記憶の感覚がそこに存在し、圧倒される。
あるいは、これらの写真は、残された記憶を共有し保存してほしいという切なる願いなのだろうか。ときおり海の風景の写真が挿入され、ひたすら連続する壕とトンネルのイメージから解放される。そして最後の写真では、山の奥深い中心部から暗闇を抜けた先に陽光が降り注ぎ、緑のヤシの葉の眺めに安堵する。その先にはおそらく海が広がっている。酸素と光が流れ込んで生命を吹き込み、閉所恐怖的な暗闇の不安を和らげてくれる。
写真の中のイメージを見て自身が何をすべきかという問いに対し、私自身も答えは見つかっていないし、当然あなたに答えることもできない。しかし、長沢の写真の中にどんな記憶が写っているのかについて考え続けることはできる。記憶そのものでなくとも、写真として存在するその記憶について。写真は、目の前に存在していたものについての、文字通り物理的に手に取ることが可能な記憶である。スーザン・ソンタグが『写真論』で述べているように、写真とは「(絵画のように)現実の解釈として表現されたイメージであるだけでなく、痕跡であり、足跡やデスマスクのように現実から直接転写したものでもある」2。長沢の写真も同様に、単に機械的に記録された以上のものが表現されている。長沢は、壕の中で厳然と輝く欠落部分にカメラのレンズの焦点を当てることで、核兵器が存在したことの明白な視覚的証拠の欠如をイメージに変換したのだ。欠落は、それ自体が十分豊かなコミュニケーション能力を持ち、苦難に満ちた歴史を物語っている。真に解決されたとは言えないが、少なくとも完成されたその歴史を。「メリーさんの羊」をめぐる、とらえどころのないの欠落感、あるいは存在感が、どの写真にも亡霊のようにつきまとう。この欠落感と存在感は、島の美しい景色の下に見え隠れする壊滅的な破壊—そして回避された壊滅的な破壊—という複雑な物語となって本書を満たしている。
童謡の「メリーさんの羊」は、戦争の対極にあるものを歌っている。なぜ子羊はそんなにメリーが好きなのかとたずねる子どもたちに対し、先生が「メリーも子羊のことが大好きだから」と答えているように、この詩は愛と互恵性についての歌である(詩の原文ではこのあと「心やさしい動物は 見えない絆で結ばれて 呼べばいつでもついて来る いつも優しくしていれば。」と続く)。つまり、「メリーさんの羊」と名付けられた核兵器貯蔵施設が小笠原にあったというローカルナレッジは、核兵器に「ファットマン」や「リトルボーイ」などという名前が気まぐれにつけられることがあるように、愛を歌った童謡にちなんだ名前が核兵器貯蔵施設につけられることもある、だから物事は必ずしも見たままのものとは限らない、という別のローカルナレッジも表している。この力強い写真集は、この矛盾と、矛盾が残した亡霊を内包しているのである。
1 Robert D. Eldridge Iwo Jima and the Bonin Islands in U.S.-Japan relations: American strategy
Japanese territory and the islanders in-between (Quantico, Virginia: Marine Corps University Press, 2014) 214.
(仮訳:ロバート・D・エルドリッヂ『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係―米国の戦略、日本の領土、狭間(はざま)の島民たち』)
2 Susan Sontag On Photography. New York: Doubleday 1990. P. 154
欧米では「ボニン・アイランズ」として知られる小笠原諸島は、東京の南およそ1000キロ沖に位置する大小30余りの島々から成る群島である。亜熱帯の島々の自然美は、日本国内はもとより海外からも多くの観光客を惹きつけ、2011年には稀有で独特な(そしてよく保たれた)自然環境から、日本で4箇所目の(そして未だ5箇所しかない)世界自然遺産に登録された。小笠原の生態系にはオガサワラオオコウモリや、他では見られない鳥類や植物など多くの絶滅危惧種が含まれ、群島を取り囲む海には幾種類ものサンゴや魚やクジラ、その他の海洋生物が数多く生息している。
小笠原諸島に関する先の写真集『The Bonin Islanders』の数々の美しい写真が証明するように、長沢の写真には、2008年から通い続け撮影してきた島の人々と場所の両方に対する深い思い入れが詰まっている。同様に『Mary Had a Little Lamb』もまた長沢と島との深い絆から生まれた写真集である。欧米系島民コミュニティの存在を初めて知って以降、長沢の興味は、第二次世界大戦での日本の降伏後に始まった米軍占領期間(1945~1968年)とその影響や反動に向けられてきた。占領の物理的な痕跡のほとんどは日本復帰後数十年のうちに消え去った。しかし日本軍が残した軍の施設や遺構、たとえば沈没船の残骸や要塞の廃墟、軍用道路、地下壕などの中には、米軍がそのまま放置したものもあり、さらにそのいくつかは今日も残っている。長沢は、現地に伝わる歴史について親切に教えてくれたコミュニティの長老たちと関係を深めたおかげで、ようやく廃墟となった壕や遺構に案内してもらうことができた。長沢はこの後、壕に保管されていた核兵器にまつわる、未だ秘密とされていた歴史をたどり始めたのである。写真で残せるのはカメラで記録可能なものだけという当然の事実からすれば、撮影には限界があるように思えるのだが、長沢が島で開始したビジュアル調査においてはこの歴史の探索がきわめて重要な意味をもつこととなった。事実、長沢が撮影できたのは視覚的に残っているものだけだ。
残されているのは空っぽの壕ばかりで、兵器や兵器システムはとっくの昔に撤去済みである。だとすれば、わかりやすい撮影対象が存在せず、しかし明白な歴史的テーマの存在感ばかりが際立つこの状況にどう対処したらよいのか。核兵器が秘密に保管されていた、しかも、広島と長崎に投下された原爆の破壊的な余波を受けて核兵器を徹底的に拒絶してきた日本という国で保管されていたという複雑で重いローカルナレッジが写真家にのしかかった。実をいうと、私自身もこの問題に直面した経験がある。1990年代後期、大学院時代に博士論文のためのフィールドワークを小笠原諸島で行っていた私は、長沢が後に知ることとなった米軍占領期間中の核兵器貯蔵施設の話を耳にした。研究対象だった小笠原の軍事文化遺産ツーリズムに対する私自身の興味に関しては、壕を訪れる機会を与えられたことに心から感謝している。しかし、研究目的や参考資料のため、写真家ではなく素人として撮影を行った私は、ライティングや構図といった技術的な問題から、そもそもその写真撮影をする正当な目的をどう定義すべきかといった抽象的で大きな問題まで、ありとあらゆる問題と格闘しなければならなかった。撮った写真が重要な意味をもつことになる可能性を感じつつも、私(そして学生の私でも購入できる程度の一般消費者向けのデジカメ)は、巨大で暗く、空っぽの空間でしかない壕の中でなんとか意味のある撮影対象を見つけようと奮闘したのだった。壕の中で感じた様々な感情や心の反応は、今にして思えば、一線を越えてしまったという興奮だったのではないか。自分たちの力ではどうすることもできない地政学的な問題を背景として島民たちを危険にさらしてきた恐ろしい秘密を知ってなお、私は本来見ることなどあり得ない場所を歩き回っていたのだ。しかし一方で、島の生活に関する何か本質的な事実にたどり着いた気もしていた。戦時中や過去の占領時代の亡霊を確かに感じた。第二次世界大戦の最中、あるいは占領下で静かな不信感が蔓延し続けた冷戦中というのは、いったいどういう時代だったのか想像した。あたりまえだがこれらの亡霊は目には見えない。その存在に実体はなく、ただ過去の複雑な事情をとらえどころのない不可思議な感覚で想起させるだけである。壕そのものをどう捉えたらよいのか私は混乱した。空っぽの空間、そして情報として知らされた事実に対して心の中に生じた反応を、私はどうすればよかったのだろうか。
結局、壕での撮影の試みは失敗に終わったが、その空間を自分の足で歩いた経験のおかげで米軍占領時代についての理解が深まった。思い返してみると、実際に壕の中に入ったときに最も雄弁に私に語りかけてきたのは、空っぽの空間で撮影対象を何も見つけられないという事実そのものだったかもしれない。そして今、こうして長沢が撮影した壕の写真を前にして最も雄弁に語りかけてくるのがやはりこの空っぽの空間なのは、このときの経験によるものだろう。長沢の写真のイメージは、暗闇の中にいるかのような没入感を感じさせながらも、暗闇の向こうの明るい世界へと見る者の視線を誘う。
この作品群で最も際立っているのは、壕のとらえどころのない不可思議さである。壕にかつての用途を示す明白な痕跡はなく、そっけない雰囲気を漂わせつつも好奇心をそそる表面感や質感に満ちている。巨大で空虚な空間を形づくっているのは金属で覆った壁で、継ぎ目がむき出しになり所々リベットが飛び出ている。その古色蒼然とした錆色が時間の経過を物語っているが、過去の用途を示す明白な目印はない。白い漆喰の表面をとらえたイメージもいくつか見られ、写真家が当てたライトの光を明るく反射してはいるが、やはり薄汚れており、さびのような汚れが染みついている。失われた時間と二度とは取り戻すことのできない記憶の感覚がそこに存在し、圧倒される。
あるいは、これらの写真は、残された記憶を共有し保存してほしいという切なる願いなのだろうか。ときおり海の風景の写真が挿入され、ひたすら連続する壕とトンネルのイメージから解放される。そして最後の写真では、山の奥深い中心部から暗闇を抜けた先に陽光が降り注ぎ、緑のヤシの葉の眺めに安堵する。その先にはおそらく海が広がっている。酸素と光が流れ込んで生命を吹き込み、閉所恐怖的な暗闇の不安を和らげてくれる。
写真の中のイメージを見て自身が何をすべきかという問いに対し、私自身も答えは見つかっていないし、当然あなたに答えることもできない。しかし、長沢の写真の中にどんな記憶が写っているのかについて考え続けることはできる。記憶そのものでなくとも、写真として存在するその記憶について。写真は、目の前に存在していたものについての、文字通り物理的に手に取ることが可能な記憶である。スーザン・ソンタグが『写真論』で述べているように、写真とは「(絵画のように)現実の解釈として表現されたイメージであるだけでなく、痕跡であり、足跡やデスマスクのように現実から直接転写したものでもある」2。長沢の写真も同様に、単に機械的に記録された以上のものが表現されている。長沢は、壕の中で厳然と輝く欠落部分にカメラのレンズの焦点を当てることで、核兵器が存在したことの明白な視覚的証拠の欠如をイメージに変換したのだ。欠落は、それ自体が十分豊かなコミュニケーション能力を持ち、苦難に満ちた歴史を物語っている。真に解決されたとは言えないが、少なくとも完成されたその歴史を。「メリーさんの羊」をめぐる、とらえどころのないの欠落感、あるいは存在感が、どの写真にも亡霊のようにつきまとう。この欠落感と存在感は、島の美しい景色の下に見え隠れする壊滅的な破壊—そして回避された壊滅的な破壊—という複雑な物語となって本書を満たしている。
童謡の「メリーさんの羊」は、戦争の対極にあるものを歌っている。なぜ子羊はそんなにメリーが好きなのかとたずねる子どもたちに対し、先生が「メリーも子羊のことが大好きだから」と答えているように、この詩は愛と互恵性についての歌である(詩の原文ではこのあと「心やさしい動物は 見えない絆で結ばれて 呼べばいつでもついて来る いつも優しくしていれば。」と続く)。つまり、「メリーさんの羊」と名付けられた核兵器貯蔵施設が小笠原にあったというローカルナレッジは、核兵器に「ファットマン」や「リトルボーイ」などという名前が気まぐれにつけられることがあるように、愛を歌った童謡にちなんだ名前が核兵器貯蔵施設につけられることもある、だから物事は必ずしも見たままのものとは限らない、という別のローカルナレッジも表している。この力強い写真集は、この矛盾と、矛盾が残した亡霊を内包しているのである。
1 Robert D. Eldridge Iwo Jima and the Bonin Islands in U.S.-Japan relations: American strategy
Japanese territory and the islanders in-between (Quantico, Virginia: Marine Corps University Press, 2014) 214.
(仮訳:ロバート・D・エルドリッヂ『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係―米国の戦略、日本の領土、狭間(はざま)の島民たち』)
2 Susan Sontag On Photography. New York: Doubleday 1990. P. 154
The Opposite of War
David Odo
Georgia Museum of Art
Mary had a little lamb
Its fleece was white as snow.
And everywhere that Mary went
The lamb was sure to go.
This book takes its title from the first stanza of a beloved American children’s nursery rhyme. It is often sung set to the melody of the chorus of “Goodnight Ladies.” The sweet image conjured up by the description of Mary and her little lamb which as the story continues follows her everywhere she goes including to school would seem to be at odds with the military subject matter of Nagasawa Shinichiro’s photographs. But more specifically the title refers to local knowledge that during the United States military occupation there was a U.S. military facility located in caves in Kiyose Ogasawara Islands whose mystery contents were nicknamed “Mary’s Little Lamb.”1 It has since been confirmed that there was a secret agreement between the Japanese and American governments that allowed the U.S. to store nuclear weapons in the islands in case of an emergency an arrangement which purportedly remained in place even after the reversion of the islands to Japanese control in 1968.
Its fleece was white as snow.
And everywhere that Mary went
The lamb was sure to go.
This book takes its title from the first stanza of a beloved American children’s nursery rhyme. It is often sung set to the melody of the chorus of “Goodnight Ladies.” The sweet image conjured up by the description of Mary and her little lamb which as the story continues follows her everywhere she goes including to school would seem to be at odds with the military subject matter of Nagasawa Shinichiro’s photographs. But more specifically the title refers to local knowledge that during the United States military occupation there was a U.S. military facility located in caves in Kiyose Ogasawara Islands whose mystery contents were nicknamed “Mary’s Little Lamb.”1 It has since been confirmed that there was a secret agreement between the Japanese and American governments that allowed the U.S. to store nuclear weapons in the islands in case of an emergency an arrangement which purportedly remained in place even after the reversion of the islands to Japanese control in 1968.
Nagasawa’s long engagement with the people and places of the Ogasawara Islands and his current fascination with its secret nuclear history began in 2007 when leafing through a travel magazine. In it he read about a community of “Western Islanders” (as they are often called) in the Islands who trace their heritage to 19th and early 20th-century pioneering settlers originating from outside of Japan. These Islanders are descendants of the first permanent inhabitants of (and later arrivals to) the archipelago in modern times who migrated mainly from the Pacific U.S. and Europe. The first group sailed from Honolulu in 1830 to establish a whaling colony in the then-uninhabited islands.
The Ogasawara Islands also known in Western languages as the Bonin Islands a stunning group of over 30 islands located about 1000 kilometers south of Tokyo. The subtropical archipelago’s natural beauty has attracted many visitors from Japan and all over the world to its shores and in 2011 it was designated a natural World Heritage Site by UNESCO - one of only four in Japan - in recognition of its unique and fragile but well-managed environment. Its wealth of ecosystems is home to many endangered flora and fauna including the Bonin Flying Fox (a fruit bat) and many endemic birds and plants. The seas surrounding the archipelago are teeming with numerous species of coral fish whales and other aquatic life.
As beautifully evidenced by his previous publication about the Ogasawara Islands The Bonin Islanders Nagasawa’s pictures embody his deep commitment to both the people and places he has been visiting and photographing since 2008. Mary Had a Little Lamb was similarly produced within the context of the photographer’s deep engagement with the islands. Since first learning about the existence of the community of Western Islanders Nagasawa has been interested in the period of U.S. military occupation of Ogasawara following Japan’s surrender in World War II (1945 – 1968) and its repercussions. Most of the physical traces of the occupation disappeared in the decades following reversion to Japanese governance. However the U.S. left some Japanese military sites and artifacts as they were including shipwrecks and the ruins of fortifications trails and caves some of which remain to this day. Thanks to his close connections to elders in the community who generously shared their knowledge of local history Nagasawa was eventually introduced to the abandoned caves and other sites and began to learn about the then still-secret history of the storage of nuclear weapons in caves. For the photographer’s visual investigations exploring this history became critically important despite the seeming limitations imposed by the fact that photographs can only document what can be registered by the camera indeed Nagasawa could only photograph what visibly remained.
What remained were empty caves the weapons and their systems long since taken away. What then to do with the absence of an obvious photographic subject but with the strong presence of an obvious historical subject? The complexity and heaviness of the local knowledge of the secret storage of nuclear weapons in a country that had disavowed such weapons in the wake of the devastating aftermath of the bombings of Nagasaki and Hiroshima weighed on the photographer. It was a problem that I too experienced. When I was a graduate student in the late 1990s doing fieldwork in the islands for my doctoral dissertation I had heard some of the same stories Nagasawa was later told about the U.S. occupation years in the islands and nuclear weapons storage. My own research interest in military and cultural heritage tourism in Ogasawara meant that I was grateful for the opportunity to visit the caves but in taking my own photographs as an amateur for my own research and reference purposes I struggled with everything from technical problems such as lighting and composition to larger conceptual issues such as defining a valid purpose in taking such pictures at all. Despite having the feeling that such pictures could be significant I (and my consumer-grade digital camera, purchased on a student budget) struggled to finding a meaningful subject to photograph in what was essentially a huge dark empty space.
In the caves I experienced a variety of emotions and reactions which in retrospect I can summarize as a combination of excitement and transgression. I was exploring a place I wasn’t meant to be seeing learning a terrible secret that had exposed Islanders to dangers stemming from a geopolitical situation they had no ability to control. But I also felt like I was homing in on some kind of essential fact of island life. I sensed the ghosts of the wartime and occupation past. And I imagined what it might have been like during epic battles and in the calm but continuing uncertainty of the cold war years during the occupation. Like most ghosts these were invisible their spectral presence merely an uncanny reminder of the complications of the past. I was left confused over how I was meant to feel about the caves themselves. What was I meant to do with my reactions to the emptiness and to the information I had received?
In the end my photographic experiment in the caves was a failure although my experience walking through the space enhanced my understanding of the occupation years. On reflection perhaps it was this very inability to find anything to photograph in the voluminous emptiness that spoke loudest to me when I was physically in the caves. And perhaps it is because of this experience that when I see Nagasawa’s photographs of the caves now it is this emptiness that speaks loudest to me still. His images feel almost immersive in their darkness even though he curates our glimpse through that darkness with brightly illuminated areas.
This body of work forefronts the uncanny nature of the caves devoid of obvious markers of their past purpose but full of intriguing if unfriendly surfaces and textures. The massive empty volume of the space is given form through the metal covered walls with exposed seams and jutting rivets. Their rusty patinas speak to the passage of time but deny us any obvious markers of their past purpose. Even the plastered white surfaces seen in some images which brightly reflect back the photographer’s light to the camera are dirty possibly stained with rust. There is an overwhelming sense of lost time and memories never to be recovered.
Or perhaps instead the photographs are an entreaty to share the memories that remain so that they may be saved. We have some relief from the relentlessness of the caves and tunnels with the interjection of seascapes. And the final photograph burrows out from the core of the mountain through the darkness and into the sunlight to a view of palm fronds providing some green relief with presumably the sea just beyond. Lifegiving oxygen and light flow in alleviating the claustrophobic darkness.
I cannot answer the question of what to do with these images for myself and certainly not for you. But we can keep thinking about what memory is sited here in Nagasawa’s photographs. For what is a photograph if not a memory. It is a literal memory in physical form of that which existed in front of it. As Susan Sontag writes in On Photography the photograph is “…not only an image (as a painting is an image) an interpretation of the real it is also a trace something directly stenciled off the real like a footprint or a death mask.” 2 Nagasawa’s photographs too are much more than a mechanical recording. He has transmuted the lack of explicit visual evidence of nuclear weapons to his advantage by focusing his lens on the glaring absences within the caves. They are rich enough to communicate on their own speaking of troubled and tortured histories now at least completed if not truly resolved. The spectral absence/presence of “Mary’s Lamb” haunts every photograph. It fills the book with its complicated story of catastrophic destruction - and catastrophic destruction averted - lurking beneath the beauty of the Islands.
“Mary had a little lamb” is actually a nursery rhyme about the opposite of war. It is about love and reciprocity as the teacher explains to the children when they ask why the lamb loves Mary so that it is because Mary loves the lamb. (Indeed, the original version of the rhyme states further that “you each gentle animal/In confidence may bind/And make them follow at your call/If you are always kind.”) Thus the local knowledge of the nuclear weapons storage facility named “Mary’s Lamb” on the Islands represents a local knowledge that all is not what it seems that just as weapons of nuclear annihilation can have whimsical names like Fat Man and Little Boy a nuclear storage facility can be named after a children’s rhyme about love. This powerful collection of photographs holds within it this contradiction and the ghosts it has left behind.
1 Robert D. Eldridge Iwo Jima and the Bonin Islands in U.S.-Japan relations: American strategy
Japanese territory and the islanders in-between (Quantico, Virginia: Marine Corps University Press, 2014) 214.
2 Susan Sontag On Photography. New York: Doubleday 1990. P. 154
The Ogasawara Islands also known in Western languages as the Bonin Islands a stunning group of over 30 islands located about 1000 kilometers south of Tokyo. The subtropical archipelago’s natural beauty has attracted many visitors from Japan and all over the world to its shores and in 2011 it was designated a natural World Heritage Site by UNESCO - one of only four in Japan - in recognition of its unique and fragile but well-managed environment. Its wealth of ecosystems is home to many endangered flora and fauna including the Bonin Flying Fox (a fruit bat) and many endemic birds and plants. The seas surrounding the archipelago are teeming with numerous species of coral fish whales and other aquatic life.
As beautifully evidenced by his previous publication about the Ogasawara Islands The Bonin Islanders Nagasawa’s pictures embody his deep commitment to both the people and places he has been visiting and photographing since 2008. Mary Had a Little Lamb was similarly produced within the context of the photographer’s deep engagement with the islands. Since first learning about the existence of the community of Western Islanders Nagasawa has been interested in the period of U.S. military occupation of Ogasawara following Japan’s surrender in World War II (1945 – 1968) and its repercussions. Most of the physical traces of the occupation disappeared in the decades following reversion to Japanese governance. However the U.S. left some Japanese military sites and artifacts as they were including shipwrecks and the ruins of fortifications trails and caves some of which remain to this day. Thanks to his close connections to elders in the community who generously shared their knowledge of local history Nagasawa was eventually introduced to the abandoned caves and other sites and began to learn about the then still-secret history of the storage of nuclear weapons in caves. For the photographer’s visual investigations exploring this history became critically important despite the seeming limitations imposed by the fact that photographs can only document what can be registered by the camera indeed Nagasawa could only photograph what visibly remained.
What remained were empty caves the weapons and their systems long since taken away. What then to do with the absence of an obvious photographic subject but with the strong presence of an obvious historical subject? The complexity and heaviness of the local knowledge of the secret storage of nuclear weapons in a country that had disavowed such weapons in the wake of the devastating aftermath of the bombings of Nagasaki and Hiroshima weighed on the photographer. It was a problem that I too experienced. When I was a graduate student in the late 1990s doing fieldwork in the islands for my doctoral dissertation I had heard some of the same stories Nagasawa was later told about the U.S. occupation years in the islands and nuclear weapons storage. My own research interest in military and cultural heritage tourism in Ogasawara meant that I was grateful for the opportunity to visit the caves but in taking my own photographs as an amateur for my own research and reference purposes I struggled with everything from technical problems such as lighting and composition to larger conceptual issues such as defining a valid purpose in taking such pictures at all. Despite having the feeling that such pictures could be significant I (and my consumer-grade digital camera, purchased on a student budget) struggled to finding a meaningful subject to photograph in what was essentially a huge dark empty space.
In the caves I experienced a variety of emotions and reactions which in retrospect I can summarize as a combination of excitement and transgression. I was exploring a place I wasn’t meant to be seeing learning a terrible secret that had exposed Islanders to dangers stemming from a geopolitical situation they had no ability to control. But I also felt like I was homing in on some kind of essential fact of island life. I sensed the ghosts of the wartime and occupation past. And I imagined what it might have been like during epic battles and in the calm but continuing uncertainty of the cold war years during the occupation. Like most ghosts these were invisible their spectral presence merely an uncanny reminder of the complications of the past. I was left confused over how I was meant to feel about the caves themselves. What was I meant to do with my reactions to the emptiness and to the information I had received?
In the end my photographic experiment in the caves was a failure although my experience walking through the space enhanced my understanding of the occupation years. On reflection perhaps it was this very inability to find anything to photograph in the voluminous emptiness that spoke loudest to me when I was physically in the caves. And perhaps it is because of this experience that when I see Nagasawa’s photographs of the caves now it is this emptiness that speaks loudest to me still. His images feel almost immersive in their darkness even though he curates our glimpse through that darkness with brightly illuminated areas.
This body of work forefronts the uncanny nature of the caves devoid of obvious markers of their past purpose but full of intriguing if unfriendly surfaces and textures. The massive empty volume of the space is given form through the metal covered walls with exposed seams and jutting rivets. Their rusty patinas speak to the passage of time but deny us any obvious markers of their past purpose. Even the plastered white surfaces seen in some images which brightly reflect back the photographer’s light to the camera are dirty possibly stained with rust. There is an overwhelming sense of lost time and memories never to be recovered.
Or perhaps instead the photographs are an entreaty to share the memories that remain so that they may be saved. We have some relief from the relentlessness of the caves and tunnels with the interjection of seascapes. And the final photograph burrows out from the core of the mountain through the darkness and into the sunlight to a view of palm fronds providing some green relief with presumably the sea just beyond. Lifegiving oxygen and light flow in alleviating the claustrophobic darkness.
I cannot answer the question of what to do with these images for myself and certainly not for you. But we can keep thinking about what memory is sited here in Nagasawa’s photographs. For what is a photograph if not a memory. It is a literal memory in physical form of that which existed in front of it. As Susan Sontag writes in On Photography the photograph is “…not only an image (as a painting is an image) an interpretation of the real it is also a trace something directly stenciled off the real like a footprint or a death mask.” 2 Nagasawa’s photographs too are much more than a mechanical recording. He has transmuted the lack of explicit visual evidence of nuclear weapons to his advantage by focusing his lens on the glaring absences within the caves. They are rich enough to communicate on their own speaking of troubled and tortured histories now at least completed if not truly resolved. The spectral absence/presence of “Mary’s Lamb” haunts every photograph. It fills the book with its complicated story of catastrophic destruction - and catastrophic destruction averted - lurking beneath the beauty of the Islands.
“Mary had a little lamb” is actually a nursery rhyme about the opposite of war. It is about love and reciprocity as the teacher explains to the children when they ask why the lamb loves Mary so that it is because Mary loves the lamb. (Indeed, the original version of the rhyme states further that “you each gentle animal/In confidence may bind/And make them follow at your call/If you are always kind.”) Thus the local knowledge of the nuclear weapons storage facility named “Mary’s Lamb” on the Islands represents a local knowledge that all is not what it seems that just as weapons of nuclear annihilation can have whimsical names like Fat Man and Little Boy a nuclear storage facility can be named after a children’s rhyme about love. This powerful collection of photographs holds within it this contradiction and the ghosts it has left behind.
1 Robert D. Eldridge Iwo Jima and the Bonin Islands in U.S.-Japan relations: American strategy
Japanese territory and the islanders in-between (Quantico, Virginia: Marine Corps University Press, 2014) 214.
2 Susan Sontag On Photography. New York: Doubleday 1990. P. 154